発達障害者の徒然日記

発達障害を抱える20代の男の徒然日記です。

陽明学とプラグマティズムについて

陽明学プラグマティズムは実践主義という共通点があると言える。実践主義とは、知識や理論を実際の行動や結果に結びつける考え方である。以下に、陽明学プラグマティズムの実践主義的な特徴を説明しよう。

まず、陽明学は、中国の明代に王陽明によって提唱された新儒学の一派である。陽明学は、当時の正統的な儒学である朱子学に対して、知識と行動を一体とすることを重視した。陽明学の代表的な教えに「知行合一」と「致良知」がある。「知行合一」とは、知識と行動は切り離せないという考えで、知っていることを実践することが真の知識であるとされる。また、「致良知」とは、人間の心には本来良い知識が備わっているという信念であり、その良知を発揮することが聖人になる道だとされる。陽明学は、経典や先生から学ぶだけではなく、自らの心を見つめて、日常の仕事や生活の中で理を追求することを目指した。この思想は、中国だけでなく、江戸時代の日本においても流行し、多くの思想家や志士に影響を与えた。

次に、プラグマティズムは、19世紀末から20世紀初頭にアメリカで発展した哲学の一派である。プラグマティズムは、真理や価値は人間の実践や経験によって決まると主張した。プラグマティズムの代表的な思想家には、チャールズ・サンダース・パースやウィリアム・ジェームズがいる。パースは、「真理とは実践的な効果や結果によって検証されるものである」という「プラグマティック・マキシム」を提唱し、ジェームズは、「真理とは人間の利益や幸福に貢献するものである」という「プラグマティック・メソッド」を提唱した。プラグマティズムは、抽象的な理論や概念ではなく、具体的な実践や経験に基づいて真理や価値を探求することを目指した。この思想は、アメリカの文化や社会に大きな影響を与えた。

以上のように、陽明学プラグマティズムは実践主義という共通点がある。両者は、知識や理論を実際の行動や結果に結びつけることを重要視し、実践的な道徳や真理を追求することを目指している。陽明学プラグマティズムは、それぞれの時代や地域の文化や社会に大きな影響を与えた学問である。

朱子学と陽明学

朱子学陽明学は、中国の儒学の中で対立した二つの思想である。朱子学は、知識を先に学び、その後に行動に移すという考え方(先知後行説)で、経典の読書を通じて物事の理を追究すること(居敬窮理)を強調した。一方、陽明学は知識と行動を一体と見なし、実践を通じて真の知識を獲得することを追求すること(知行合一)を唱え、実践的で正義感あふれる人間を養成することを目的とする。

朱子学陽明学の違いは、以下の表に整理できる 

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例えば「崩れにくい山を作ること」に対するアプローチが異なる。

朱子学では、知識と行動を別々のものと見なし、知識を先に学び、その後に行動に移すことを重要視する。このアプローチでは、まず「水をかけると砂が固まるという性質を知っていること」を学び、その知識を基にして「砂の山にジョーロで水をかける」行動を試みるプロセスとなる。

一方、陽明学では、知識と行動は一体のものと見なされ、実践を通じて真の知識を獲得することが強調される。陽明学のアプローチでは、まず「砂の山にジョーロで水をかける」行動を通じて、「水をかけると砂が固まるという性質を知っていること」を確認し、知識と行動を結びつけるプロセスとなる。このアプローチは知識と行動を切り離せないと考え、実践を通じて真の知識を追求することを重要視する。

 

朱子学の代表的な思想家は朱熹で、その教えは中国の教育と官僚制度に影響を及ぼした。対照的に、陽明学の代表的な思想家は王陽明で、彼の思想は反権力運動や日本の尊王攘夷運動に触発された人々が多かったと言われてる。

朱子学陽明学は中国の歴史と文化に大きな影響を与え、教育や政治において重要な役割を果たした。知識と行動の関係における根本的な違いが、これらの学派の特徴である。

サマタ瞑想とエポケーについて

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サマタ瞑想とエポケーは、心を静めて集中する方法として共通の要素を持つものの、異なる目的と文脈を持っている。

サマタ瞑想は、仏教の瞑想法で、主に心の乱れを鎮めることに焦点を当てている。この実践は宗教的な実践として行われ、特定の対象に心を結びつけて静心を追求する。たとえば、サマタ瞑想では呼吸に焦点を当て、心の静けさを追求する。この方法を通じて、個人は内面的な平静と心の平和を養うことができる。

一方、エポケーは哲学的な方法で、フッサールによって現象学に導入された。エポケーは、事物の存在についての素朴な判断を一時的に中止し、純粋な意識の領域に入ることを指す。具体的に、エポケーでは外部の対象に対する主観的な前提を一時的に取り除き、対象を客観的に分析する。これにより、個人は対象との関係をより客観的に理解するための哲学的な手法を提供される。

サマタ瞑想の効果は、内面的な静けさ、心の平和、および宗教的な成長である。この実践を通じて、個人は内面的な平和を実感し、宗教的な目的を達成する。一方、エポケーは哲学的理解と現象学的な研究を深めるためのプロセスであり、知識の獲得と哲学的洞察に貢献する。この方法を通じて、個人は現象学的なアプローチを磨き、知識の深化に寄与する。

したがって、サマタ瞑想とエポケーは心の集中を通じて共通の要素を持つものの、それぞれ異なる目的と文脈で使用されている。サマタ瞑想は宗教的な実践であり、内面的成長と宗教的な解放を追求する一方、エポケーは哲学的な方法であり、知識の獲得と現象学的な研究を促進している。

仏教の修行について

 仏教は、主として人々が苦しみから解放されることを追求する宗教である。この目的を達成するために、仏教の修行は日常生活における気づき、反省と挑戦、および心の動きの観察に焦点を当てることだ。

 仏教の修行の要点は、個人の内面的変容と精神的成長を奨励することにある。心の動きを観察することによって、個人は自己の煩悩や執着を明確に認識し、それらから解放される方法を見つけることができる。このプロセスには、内省と自己啓発が含まれる。

 具体例として、仏教の修行者が心の動きを観察する方法として、瞑想が特に重要である。

瞑想は内なる平静と静穏を養う実践であり、個人が自身の煩悩や執着をより明確に認識し、それらから解放されるための手段を提供する。

特に、仏教においては、心を集中させる禅定とものごとの縁起を観察する智慧の二つの瞑想法が強調されており、これらを通じて個人は内面の平和と洞察を深めることができる。

 仏教の修行の効果は、内面的な平和、幸福感の向上、他者への思いやりの発展、そして苦しみからの解放である。この宗教の修行を通じて、個人は自己を探求し、煩悩からの解放を実現し、他者にも善意と協力の精神を養う。

 結論として、仏教の修行は信仰や儀式に限定されず、個人の内面的変容と成長を奨励することを強調している。この修行を通じて、個人は苦しみからの解放を実現し、他者にも喜びと平和をもたらすことができる。

エポケーとイノベーションの発想の類似性

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 エポケーとは、あらゆる定立を「作用の外に置く」「遮断する」「カッコに入れる」「判断中止する」という哲学的アプローチを指すもので、この方法論は、対象に対する主観的な影響を一時的に排除し、純粋な現象そのものに焦点を当てることを意味する。
 イノベーションの発想について、新しいアイデアを生み出すプロセスにおいて、既存の概念や常識を疑う行為が含まれる。
 エポケーとイノベーションの発想には類似性があり、両者は既存の枠組みに縛られずに新しい視点を探求し、従来の概念に疑問を投げかけることが、新しい発展や進化をもたらす可能性があることを示唆している。
 この類似性の根拠は、両者が伝統的な思考パターンに挑戦し、新しいアイデアやアプローチを生み出すプロセスで類似している。
 具体的な例を挙げると、スマートフォンの発明がエポケーの考え方と共通点があり、従来、電話機や携帯電話は通話やメッセージのための装置として捉えられていたが、スマートフォンの登場により、これらの既存の定立が疑問視された。スマートフォンは、単なる通信手段を超えて、多くの機能やアプリケーションを提供し、新たなデジタル体験を可能にした。
 エポケーとイノベーションの類似性から、エポケーの哲学的アプローチは、イノベーションにおいて新しい道を切り拓くための貴重な方法論の一つとして考えられる。どちらも既存の枠組みを超えて、創造的なアプローチを促進し、進歩と成長に貢献していると言えるだろう。

男の生きる意味とは

https://youtu.be/XjAimxnQqkI?si=ZP8wb56MdgKEx1WO

 武田邦彦教授が尾崎豊の「15の夜」を高く評価していることを聞いた。この詩は、男の子が14歳になると、自身の生きる意味について深く考え、悩むことがあることを表現しているとのことだ。

 この悩みの背後には、生物学的な進化の観点からの一面もあると言われている。女性に比べて、現代の男の子は、原始的なオスの役割である子孫を守るために戦うといった役割を大部分で果たす必要がなくなったことが一因で悩むことがあるようだ。

  現代社会において、男性が自分の生きる意味を見つける方法は多様で、戦争に関連するものだけではないが、戦争のない社会においては男性は家庭やコミュニティで重要な役割を果たすことは難しい。

  このように、武田邦彦教授の評価した尾崎豊の詩「15の夜」は、男の子の思考と悩みの背後にある社会的な変化と進化の観点について示唆を与えている。男性が自身の生きる意味を見つけるために新しい方法を模索する現代社会において、この詩は重要な洞察を提供している。

景気はみんなの気分である。

景気はみんなの気分である。景気は社会全体の気分に依存している。
気分や感情が経済活動に直接影響を与えることは広く認識されており、人々の信頼感や楽観主義は投資や消費に影響を及ぼす。景気が盛り上がると、人々はより多くのお金を使い、企業は新しいプロジェクトに投資しやすくなる。逆に、景気が悪化すると、支出が減少し、企業は雇用を削減し、これが経済の低迷を引き起こす。
景気は経済と感情の密接な相互関係によって決定される。
2008年の金融危機の際、景気が急速に悪化し、多くの人々が失業や住宅ローンの問題に直面した。この危機は不安や恐れを引き起こし、消費が減少した。
豊かな国々では、国の指標や政策だけでなく、国民の幸福度やストレスレベルも景気を測る指標として考慮されている。
景気はまるで大気中の気圧のようであり、気圧が変わると天候に影響を与えるように、景気の変動は経済に大きな影響を及ぼす。
では、景気と気分の相互作用はどのようにして最適化できるのか?
気分と景気の関係は複雑であり、一度に完全に制御することは難しい。
景気は社会全体の気分に依存しており、経済と感情は密接に関連している。